つくり家ぐらし

築50年の元教室を程よくセルフでリノベーション

そこにあるのは築50年の学校

こんにちは。ビール(妻)です。
今日は、今回リノベーションの対象となる建物を紹介します。

 

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正直に言います。googleアースから引っ張ってきました。
ちょっと窓が歪んでるのはそのせいです。
大丈夫、実際はちゃんとした窓がはまってます。
このオンボロ感は実物そのままですが。
近所の子どもに勝手に怪談とか作られてそう。

 


母方の祖母の家。
祖父は物心がつく前に他界してしまったので、私にとっては"祖母" の家です。
祖父が病気をしていた私が2歳くらいの頃、約1年くらい、
この家に住んでいたこともあるみたい。
あまり記憶はないけれど、1階の教室にベッド置いて寝てたような気がする。

 


さてさて。
祖母の家は1970年築。
元々は洋裁の各種学校
1階は全て学校用の部屋。

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教室には大量のミシン、机、椅子などがそのまま残っています。

2階は教室と居住スペース。
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今の2階の教室の一角には、後から作り足した和室があります。
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全体的にちょっと散らかってるのはご愛嬌!

最盛期は1階が洋裁学校と音楽教室、2階は教室が縫製場、和室で茶道稽古、
そして東側で家族(祖父母と母)がひっそり暮らしていたそうな。
ひっそり、というのは、登記上は完全に学校で人が住むことにはなっていなかったから。
学校の片隅に借りぐらしをしていたんだよ!というのは母の言葉。
この家に引越す前の家もお店と兼用だった?らしく、
祖母はずっと普通の家に住むことに憧れていたそうです。

当時の学校案内によると、
仕事人としての洋裁スキルを身につけるのはもちろん、
嫁入り修行として洋裁を習う学校的な面もあったみたい。
茶道稽古は洋裁学校のオプション授業で、
嫁入り前の嗜みとして習えるようになっていた様子。
時代を感じますねえ。

音楽教室は普通に(?)近所のピアノ教室的な感じっぽい。
縫製場、というのはこの建物とは別で祖父がやっていた
婦人服屋の商品をお針子さんたちが作っていた場所です。

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↑婦人服屋のショッパー。服屋のふくや。大変わかりやすい。
「MY MAN FEELING GOOD」というコピー、時代を感じますねえ (2回目)。
今だったら大炎上待ったなしだと思う。
おしゃれは自分のためにするもんだ!って。

大変余談ですが、私はこのショッパーを見るたびにバクマン。を思い出します。
太めゴシックの英語タイトルが上方にどーん!だからでしょうか。

 

話は戻って、祖父は主に婦人服屋を経営。
そして、この教室は祖父の指示で祖母が校長をやっていたそうです。

どんな多角経営だよじいちゃん。
戦後に布売り?から始めてここまできたとか。
噂によると不動産業にも手を出そうとしていたらしい。
噂っていうか、父が言っていたんですけれど。

が、しかし。
1980年代中頃祖父が病気に。
最初は病床から指示を出して事業を回していたそうですが、
病状の悪化により全て廃業。
そして1990年に祖父が逝去。
その後は祖母が1人で住んでいました。
2010年頃祖母に認知症が出てしまい、
見守りのため自営業である私の父(祖母から見たら娘婿)が
1階の応接間を仕事場にするも、程なく祖母はグループホームへ移住。
そしてこのリノベーション工事が始まる直前に他界しました。

祖母がグループホームに入ってからの数年間は
1階の片隅で父が仕事をするだけの建物として存在。
2016年頃、夫が木工作業をする場所が欲しいという話になり、
この建物の1階教室部分を貸してもらうことになりました。
ちなみにこの時はまだ入籍前です。

全ての事業を取り仕切っていた祖父が志半ばで倒れてしまい、
ほぼ放置状態だったこの家。
先述の通り学校の設備はそのまま。
更に、私が欲しいと言い出したことで色々調べてみると、
土地も建物も公共料金の引き落としも名義は祖父のままという事実が発覚。
母方の一族、結構おおらかな気質なのは分かってたけど、
そこ放置するのはさすがに如何なものかと思う。
将来的にどうするつもりだったんだ。

完全な廃屋になってから相続することになったってこちらも困るよマイマザー。
そう、今。今私がもらうのがいちばんいい。そうに決まってる。
両親の許可はとりあえず取れたから、あとは母の兄、すなわち伯父の許可をもらうだけ。
と思って電話したら、よく分からなくてなんとも言えないから直接会った時に話を訊くという
なんとも煮え切らない返答が返ってきました。
うーん、ちょっと不安。

そんな感じで、問題も魅力もたっぷりのこの建物がこのブログのリノベ対象です。